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第2話 本郷座

現在の春日通りから本郷通りへ抜ける、消防署前通りの左側にビクター本郷ビルがある。そこが本郷座の跡である。

明治6年、地主の奥田氏が奥田座として設立、同9年町名をとり春木座と改称、同35年には区名をとり本郷座と改称した。明治14、5年頃は、九代目團十郎、五代目菊五郎も出演、活況を呈した。その後川上音二郎一派が「ハムレット」を上演、高田実、藤沢浅二郎、河合武雄らの「高野聖」「不如帰」などで新派随一の劇場として当たり続けた。第一次大戦の好景気時代には歌舞伎、新派、新劇など交互に上演、まさに著名な芝居小屋であったが、震災で全焼した。その後バラックの劇場が落成し、左団次、水谷八重子らが出演したが昔日の面影はとりもどせず、昭和5年松竹の映画館となった。

もちろん、その当時のことは私は知らないが、数年前、本郷の森井書店に、泉鏡花が奥田氏あてに出した毛筆書きの手紙があった。自分と尾崎紅葉の戯曲の上演の順序に関する長い手紙で、軸装になっていた。「高野聖」と「不如帰」のことではないかと思っている。欲しかったが、高価なので買うのをやめたが、今でもやはり欲しい。

私の学生時代、本郷座は洋画の二番館となっていた。浅草の大勝館、有楽町の邦楽座、新宿の武蔵野館等が封切館で、一、二週間たてば二番館で安く見られた。また戦争が激しくなると輸入がとだえ名画を組み合わせて上映してくれた。神田のシネマパレス、南明座、新宿の光音座等とともに見逃がせない映画を再上映してくれたのである。多感な旧制中学から高校・予科時代に、どれほど感銘を受けたことか。「ル・ミリオン」,「自由を我等に」,「パリの屋根の下」,「パリ祭」,「女だけの都」,「地のはてを行く」,「我等の仲間」,「望郷」,「舞踏会の手帖」,「どん底」,「モロッコ」,「モダンタイムス」,「或る夜の出来事」...,もうやめます。

私は昭和18年12月1日、東部72部隊に入隊した。

本郷座は昭和20年3月9日、10日の空襲で焼失した。

FIN

文献 戸畑忠政:ぶんきょうの史跡めぐり.東京都文京区教育委員会.文京ふるさと歴史館,1984,p18

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